スピリチュアル
最近、週一回学校に行って授業を聞いているのですが、その中で、スピリチュアルやカルトに関する授業があまりに面白くて、はまっています。
多分、先生が面白いというのも大きいのですが、どこからスピリチュアルブームが始まったかとか、この世界に関わりつつも、知らない事が沢山でした。
まず、「スピリチュアル」という言葉が一気に広がったのは、1998年に、WHOの健康の定義に関する議論に始まります。
フィジカル(肉体的)、メンタル(精神的)、ソーシャル(社会的)という三つの要素が健全であった場合、健康であるという定義だったのですが、さらに、スピリチュアル(霊的)という第4の要素を加えようという意見が出て、その場ではまとまらず、未だにその議題は預かられたままになっているそうです。
ある国の人は、呪術にかかってるとスピリチュアルに不健全だといい、ある国の人は、ナチスの将校はスピリチュアルに不健全だといったそうです。
国や文化によって、様々な価値観があるので、まとまらないのも当然かもしれません。
そして、この議論は、医療現場においては、大いに歓迎されたそうです。
末期ガン患者の、薬では取り除けない、深い苦しみに関連するからです。
どうして自分がこんな目に、とか、死んだらどうなってしまうんだろう、とか、何の為に生まれてきたんだろう、というようなことを深刻に考えるようになったとき、スピリチュアルに不健全な状態であるとされます。
そして、現在のスピリチュアルブームはどうして起きているのか、ということを考えると、色々思うことがあります。
「千の風になって」という歌が大ヒットしました。
愛する人を亡くなくして傷ついているひとの心に、またそうでない人の心にも、深く浸み込んで、まさにスピリチュアルな面で、大きな救いや、癒しを与えたからこそ、これだけヒットしました。
あらゆる宗教や人種を超えた、全ての人々に共通する魂の部分の癒しです。
また、「世界に一つだけの花」という歌が大ヒットしたのは記憶に新しいところです。
皆それぞれ違うけど、どれも素敵だよ、という歌詞です。
弱肉強食の社会で、勝ち組とか負け組みたいな言葉も生まれて、それは良い事ではないとわかってるけど、そんな世の中から抜け出せない人々の心に、この歌のもつメッセージが優しく浸み込んだのだと思います。
社会やマスコミから与えられたり押し付けられた、幸せの定義や、理想像みたいなものに振り回されて、自分にとっての本当の幸せを見失っている人って、世の中には意外と多いんじゃないかと思います。
だからこそ、この歌に癒しを感じたり、共感するのではないでしょうか。
そして、社会的、物質的な格差にまみれたこの世の中に生きていても、スピリチュアルな世界、目に見えない世界では、格差を感じないで済むというのも大きいかもしれません。
それどころか、自分は人に比べて、霊的な世界ではより高い位置にいる、と自信を持つ場合もあります。
現実世界とは一線を画したところにある、魂レベルのアイデンティティーが確立でき、生きている事に対する理由付け、意味づけができたり、一人ではない、誰かが見守ってくれているという安心感を得ることができます。
あるいは、この悪い出来事は、憑りついていた霊のせいであって、自分のせいではない、なんていう逃げ道にもなったりします。
また、魂や、心の深い部分の苦しみに対する理由付けがもたらす、納得感や、安心というのは、実はとても大きいものではないかと思います。
どうして自分はこんなに苦しむのかという理由を手に入れたとき、人は初めて、その苦悩を受け入れる余裕ができたり、立ち向かっていく勇気が湧いてくるのではないかと思います。
実際、私もそういう気持ちの変化を体験した事があります。
宗教に入っていると、この世における苦悩は前世からのカルマによるものであったり、神から与えられた原罪であるなどという説明が与えられるので(これこそが宗教の本来の役割かも)、それ故、スピリチュアルブームは、新時代の宗教形態ともいわれるようです。
現代は、皆がそれぞれ、自分教を持ちつつある状態であり、宗教そのものの姿が変わってきている、まさに変わり目の時代なのだそうです。宗教革命といっても良いのかも。
まさに、魚座時代から水瓶座時代への移行とか、いわゆるアセンションみたいなものかもしれません。
日本人の場合、祟りを信じたり、お墓参りはするのに、基本的には無宗教という人が多く、それでいて心の深い部分、魂の部分に、痛みや苦悩を抱えた人々に、スピリチュアルな面においての癒しというものが大きな役割をもつようになっているのだと思います。
ほんとの自分って何なのか、魂の目的は何なのか、どこから来てどこへ行くのかといったようなことを多くの人に考えさせるような、ちょっと病んだ世の中だからこそ、ブームになるのかな、とつくづく思いました。