蛙と鵜
ヘミシンクは、フィット感の良いヘッドフォンを新しく買って試したところ、かなり良い感じだったのに、時折CDプレーヤーから発生する雑音まではっきりと聞こえてしまうようになり、今度はCDプレーヤーも新しく買わないといけません。
今までいくつか不思議体験があり、亡くなった祖母が私の事を案内してくれて(というか私が祖母の視点で行動していた感じ)、仏壇の中に吸い込まれたり、お墓から祖父の家に行く様子などを体験しました。
仏壇のときは、気付いたら階段の下にいて、昔から2階が怖くて仕方なくて、このときも、すごく嫌だったのに、体が引っ張られて、2階の仏壇の部屋に連れて行かれて、すぽっと仏壇にはまって、そこから部屋の中を見ていました。
変にリアルというか、勝手な妄想という感じではなくて、やはりヘミシンク効果なのかな、と思います。
さて、話は変わって、先日、雷電の能を見に行ってきました。雷電は、菅原道真の事です。
ちょうど受験シーズンで、タイムリーな感じです。
もともと、菅原道真は雷神ではなくて、八百万の神を使って、復讐をしていたとされているのが、いつの間にか本人が雷神のようになってしまいました。
今回は、殺生石に続いて2回目の能体験で、同じく動きがあって、結構面白かったです。
装束も派手で、動きも大きいので、初心者には嬉しいです。
その翌日に、蛇信仰の講義を聴きに行き、ちょうど雷つながりで、とても充実した時間を過ごしてきました。
日本の環状列石の中に、実は蛙と蛇の交合を表現したものがあり、土器にも、蛙と、その背中からの出産を表現したものが多く存在するのだそうです。
背中の形や質感は、世界中のいくつかの地域で、女性の陰部に見立てられていました。
蛙は水中と陸上に住みます。冬にこもり、春に再び出てきます。また、蛇やトカゲとは違い、鳴き声を発します。
このような生態から、昔の人は様々な連想をして、女性、あるいは巫女的な意味をもたせたと考えられます。
蛇神と巫女の神婚に関する話は、日本中に様々な形で残されていて、そうした神話も、もともと縄文の頃にあった概念が、表現されているという事になるのではないでしょうか。
また、そうやって考えていくと、鵜飼いという職業が神聖視されてきた理由も説明が付きます。
鵜は、鳥でありながら、水中深くに長い時間潜る事ができます。
水は霊的な世界に深く関連すると考えられてきており、また、鳥自体が、霊性の象徴でもありました。
その鳥が、水中から魚を捕らえて出てくるという姿は、観察眼に優れた昔の人にとっては、とても不思議で特異な光景に写ったはずで、そこから、鵜自体に、巫女的な要素を感じさせていたのだと思います。
鵜飼の神事なども、これから良く調べてみないといけないな、と思っています。
神功皇后(巫女)は、魚を釣って占いをしました。
また、水の中から取れるヒスイなどは、オキツクシイ(沖の玉)、ヘツクシイ(辺の玉)と言って、やはり、大変に神聖視されていました。
水、霊性、巫女という関連性が次々生じて面白いです。
そういえば、鵜を抱く女と呼ばれる、鵜を抱いた状態で発掘された女性の骨も、巫女であると考えられています。
レヴィ・ストロースのいう、動物の生態と神話の関係という考え方になると思うのですが、こうしてみると、他にも沢山発見が出来そうです。
また、狐の行動、ダーキニー、ハイヌウェレ神話、墓場というキーワードをつなげていくと、やはり、稲荷神社の持つ性質にも、説明がつけやすいです。
話が大きくそれてしまいましたが、そのうち、狐について、まとめようと思っています。