甕
お気に入りの茶色毛布でごろごろするマイわんこです。暗いと同化してて踏みそうになります。
自分と同じような色だとなんか落ち着くみたいです。
出雲ツアーに備えて、珍しく、着ていくものとか早めに準備してみました。いつもなら出かける前日とか直前にバタバタやってるのですが。
今回は始発に乗るのと、一日の気温差が10度もあるので重ね着なのと、そしていかに荷物を減らすか、考えてると時間がかかりそうだったので、珍しくすでに準備完了なのです。
手続きとかも終わって確認もOKです。
途中で立ち寄る海鮮屋さんにも最終確認の電話を掛けたりなんかして。
私「あの、24日に予約してる玉元ですが、一応確認でお電話させていただきました」
「はい、ちょっと確認させていただきますね」ガサゴソ
しばらくして
「あの、予約受けていないみたいなんですけど」
私「え~!そんなはずないと思うんですけど、神楽飯を人数分うんぬんかんぬん・・・」
「あの、そういうのやってないです」
私「え?」
「こちら、物部神社です」
私「あ・・・(いやーん)」
その後、電話口で平謝りでした。
電話番号が並んでて、間違えてプッシュしてたみたいです。
まぁその日に寄る予定ではあったんですけど、神主さんをびっくりさせてしまいました^^;
すみませんでした。。
その後、お店のほうに電話したら、人数分しっかり予約できてました。
ホテルとか旅館には予約段階から何度も電話かけていて、たぶん確実に覚えられてます。
念には念を入れておかないと気が済まない性分なんですね。こういうところが我ながら乙女座ちっくだなぁと思いました。
さて、物部神社はその名のとおり、物部氏に深く関係しています。
神武の東征の際に神武に下ったウマシマジは、最後は石見の地にやってきて、そこで亡くなったとされています。
一帯を平定した際に、三つの瓶を埋めたとされていて、そのうちの一つが、物部神社の一瓶社に埋められているとされています。
あのあたりは三瓶という地名があったり、そもそも、大国主の国譲りの際に活躍した建甕槌も、甕の字がちゃんと入ってますね。槌は、~のミタマみたいな意味になります。ミヅチと同じかんじです。
建甕槌が祭られているのは茨城の鹿島神宮ですが、物部氏の香取神宮とあわせ、東国3社セットのうちのひとつ、岐神や天鳥船が祭られている息栖神社には、男甕と女甕という二つの甕が水中に沈められています。
甕はうつぼ状なので、ミタマが籠もると考えると、まさにミタマノフユの考え方が生きているように感じます。
新たな支配地や、支配者となった者の繁栄を祈るために儀式的に行われていたのかもしれないなと思ったりしています。
ウマシマジは神武に恭順し、その結果、外地の支配のために駆り出されて追いやられた感もあります。
物部氏は蘇我氏との戦いに敗れた後、各地に散ったとされていて、謎が多い氏族です。
鎮魂をはじめ、祭祀にとても縁が深い氏族で、夢で予知を行ったという伝説もあるようです。
関東からだと、なかなか行ける場所ではないので、とても楽しみです。
ツアーには講座に参加してくださった方も何人かご参加くださるのですが、ある方から、勾玉なくしちゃいました><と連絡を頂いていて、心配していたのですが、今日になって、見つかったとのご連絡をいただきました!
なくなるとか壊れるのは大体身代りだったりするのですが、今回はなんとなく出てくるんじゃないかという気がしていました。
いつも持ち歩いているという勾玉を持ってきていただけることになり、良かったです^^
きっと、出雲の地でパワーチャージしていただけることと思います。
いつも何かとお世話になっている考古学の先生と学校で偶然鉢合わせて、ちょっと待ってて、と言われてなんだろうと思ったら、こんなステキな資料をいただきました。ありがとうございます~
少女マンガかというくらい、すごい奇跡的なタイミングで、お互いびっくりなのでした。
数秒ずれてたら絶対気付かなかったです。なんかこういうのって嬉しいです^^